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本当に価値のある人生を歩む environment

 周りがより良くなる立派な仕事をし、自分の人生を切り開いていく。その意味を本当に理解し、自分の力を最大限に使うことで目の前の最も難しい問題を解決することが、人格を高める・本当に価値のある人生につながる。仕事、人生を通して自分のマインド・スキルを磨き、向上させていくための人生道場のような「修養」をする場所が株式会社あらいである。よく生きるためには、自分を改め、仕事に没頭して一生懸命働くことが最も大切な要素になる。

働く意義

 働く意義の一つに、生きていく・食べていくために必要な報酬(労働の対価)を得ることがある。もう一つの最大の働く意義に、自らの魂・心を磨くことが挙げられる。しかし、先行き不透明なこの時代において、多くの人々が社会・会社・自分に対するあきらめからか、報酬を得るためだけに働いている。それだけでは、自らの魂・心を磨くことが見失われていることになる。

 たとえば「顧客の新規開拓をしても、数字にならなければ評価してもらえない」「年収が上がっても沢山税金でもっていかれる」などの気持ちが強くなる。自分の頑張りなど何の足しにもならないと目的を見失い、馬鹿げた気持ちになってしまう。「時間と労力を費やしても無駄になってしまうならば、元からやらない方がまし」「大きく変わることのない社会、会社なら、生活を維持できれば問題ない」という思考回路・気持ちに陥ってしまう。結果決められた時間の仕事はするものの、仕事と家庭を切り分けて考える。会社に縛られずプライベートな時間を大切にするなどの働き方でも、もらえる収入はさほど変わらないのだから、それでよいと考えてしまう。そうして自分のことしか考えていない人になっていく。

 これは、働く本当の意味を理解できず、単に「損をしたくない」「傷つきたくない」という自己防衛本能からはじまる。人生(仕事)をネガティブに捉え習慣化し、その環境を形成し、思考を定着させ、自身が抜け出せない状態になってしまったのが「生きていく、食べていくだけの消極的な働き方」といえる。

 その働き方で報酬を得る場合は、目先のことばかりを考え、自分本位な考えに陥ってしまう。それでは、他の人からの理解や協力も得られない。周りがそうだから、これで大丈夫だろうと勘違いをしてしまう。自分の都合を優先し、実社会から離れ、正しい成長をするためのよい習慣を身につけないまま時間が過ぎていくことになる。それでは人を育てられないため、人生・仕事も、うまくいかなくなる。体力・気力も衰え、徐々に弱い人へとなっていく。

 人生という長い道のりが、どのようなものでも構わないなら、それでよいかもしれない。しかし、本当に価値のある人生にしたいのであれば、社会が求めている人の役割である「世の中に役立つこと(目の前の最も難しい問題を解決すること)に自分の力を最大限に発揮し、自らの魂・心を磨くこと」について考えなければならない。

 心が柔軟な間(40歳まで)に社会貢献することを喜びと捉え、意欲ある人になっていなければならない。しかし、そのように育っていなければ、そこから先の成長も見込めないことになる。そして、チャンスは減っていく。それは働くことへの最大の意義を見失っているからに他ならない。そう考えると、楽をするための転職などは論外であるといえる。

 働くことへの最大の意義を見失わないためには、自らの運命を積極的に受け止め、周りをよくして自分も立派になろうと困難に立ち向かう。自分の成すべき仕事に没頭し(ただひたむきに・精魂を込めて・努力を惜しまず)、時間を犠牲にしてでも頑張り続けることである。それには辛く・厳しい・辞めたくなるような苦労もある。それでも克服し、目の前の最も難しい問題を解決するまでやり通すことが、魂・心を磨くという素晴らしい作用をもたらす。そこに大きな意義がある。

 偉大な功績・立派な仕事を成し遂げ、あわせて世間の名声を得た誰もが、例外なく、苦心を重ねながら成すべき日々の仕事に没頭している。果てしない努力を通じて、仕事の質を高めている。このように、自身の心を練り上げてきた人だけが、自己を確立し(人間的な完成・個人の内的完成に近づけ)、豊かで深みのある素晴らしい人格も手にしているのである。

人格を高める(徳を積む)ことが人生の目的(仕事の本質)

 人格者とは、高い道徳、倫理観(社会的に守るべき規範をベースにした考え方)を有する人である。正しい善悪の判断をはじめ、自らを律し、社会や会社、仲間に私心を捨てて尽くす精神をもつ。偽らず、正しく、美しいという人間の理想的なあり方を追求する人である。人格者が行動すれば利があり、ことを成せば成功できることになる。そのため人格者には、人格のある人やそれを慕う人が親しく思ってついてくる(決して孤立せず、必ず理解し協力する人が現れる)。ゆえに、人格の高い血筋を引く人が栄え、低い血筋の人は衰える。言い換えれば人格は子孫繁栄の鍵となるものである。

 企業の基礎となるものは何かと問われれば、それもまた人格である。基礎が固まっていない所に家を建てたとしても長持ちすることはない。また、心は繁栄の根である。根をなくして枝葉が生い茂った試しはない。企業の勢いが盛んになる時は、人格の高い優れた人がいる。それを慕ってその人に次ぐ人格のある人、賢明な人、深くその道に通じる人が企業に貢献・協力している。しかし、人格の低い(人格の疑われる)人が多い企業は、一時は栄えたとしてもいずれは力や勢いが(おとろ)えて(後戻(あともど)りして)いくものである。滅びる時は権力者が人格を高めなくなる。(いさ)める忠義者を退(しりぞ)け、ついには協力者がいなくなっている。

 このように人格は、社会的価値の高い性質を有し、人の根幹となる。よって、人格を高めることが人生における最も重要な目的と考えなければならない。

 人格は、精神の修養によって高められるものである。そのため、自分にとって「大切な(好きな)ものは何か」「都合のよいものは何か」を()り好みして生きてきた結果が今の自分となる。その集積が、人としてのあり方を決める部分となると心してほしい。

魂・心を磨く(根本)

 多くの人が、生まれた時からもち合わせている「勝ちたい」「出世したい」「金持ちになりたい」「立派な人を見つけたい」などの本能を伸ばそうとしている。しかし、これらの本能だけが伸びてしまった場合、「お金や物質が一番」「体が一番だ」「家族が一番だ」として自分や家族のためだけに働くことになる。少し物品が手に入れば「良かった」と喜び、手に入らなければ「どうしよう」「人生はもうだめだ」と悩む。そのように(物質的なものだけに執着しすぎて)心が揺れると、自分本位な考え方だけを求めることになる。
 この世の形のある存在が一番と思って頑張った結果、果たしてどれだけの物質を得られるだろうか。人から信頼されるだろうか。社会に出て成功できるだろうか。私は難しいと考えている。

 自分本位な考え方であればあるほど、社会に対しての役割や、周りに与えるべき正しい影響がどういったものなのかを考えられない。それでは、会社、自分のよい未来が見えず、見えない力が働かない。それは結果的に、持続的な成長を阻む(周りに迷惑が掛かる・企業風土も悪化する)ことになる。

 そうならないためには、自分の時間・力は自分のものでなく、周りがよくなるために使うことが必要になる。そうして、かかわる人に喜んでもらえる立派な仕事を自身の喜びとして捉えられるように成長することで「自分本位だけの考え」から「周りをよくしていくという考え」に比率を少しずつ上げていくことである。このことを私のように悩みながら続けていく時期もあるかもしれないが、それでも志を掲げ、強固にする。これを自身の頭と体に理解、浸透させ、悩まず進める人へと成長することが、よい未来につながる。このような心で、失敗と成功を乗り越え「魂・心を磨く」ことができる人は、何があろうとも心が揺らがないため、見えない力が働くことになる。したがって、多くの人に好まれ、成功者として本当に価値ある人生を歩むことになる。それでも、この世の形のあるもの(の魅力)を先に知ってしまうと、なかなかこの世の形のないもの(存在)を信じられなくなってしまい、自分本位だけの考え方から抜け出すことが難しくなる。そこから抜け出すには命の尊さや魂の存在を知る必要がある。

『仏教』の教えに、「輪廻(りんね)転生(てんせい)」という言葉がある。これは【死後の魂(霊魂)の現世での行いが、来世になんらかの影響を及ぼす。そのようにして、この世に何度も生まれ変わってくることから、魂が無限に続く】ことをいう。これが本当か、そうではないかは、さまざまな論があると思う。私自身もこの輪廻転生について、死後でないと本当のことは分からないと考えている。しかし死の間際に、子どもが社会に役立つ人に育っているならば(未来が輝かしいものであるならば)、よい人生だったと思うだろう。だからこそ、まず自分自身が身をもって魂・心を磨き、見習われるような大人になっていかなければならない。そのことを子どもたちに示し、伝えることで、子どもたちの魂・心に()み込ませられると考えている。それが、私の魂がなくならない理由であり、命の尊さや魂の存在になる。また死後、この世に存在する家族もお金も、あの世に何ももっていくことはできないのも事実である。それらを踏まえ、この「輪廻転生」が本当だと断言することはできないが、やはりそこには確かなものがあるとすべきになる。世の中の形のあるもの(存在)がすべてではなく、世の中の形のない存在が一番大切になる。人生の目的は生まれた時よりも魂・心を磨く(きれいにする)ことである。

 そのように考えると、魂の存在を知らずして、素晴らしい人生を歩むことがはたしてできるだろうか。お金や物、肉体がすべて(命)と思って、滅びゆく肉体だけを信じてどのように幸せになれるであろうか。痛い目に遭うこと(困難)は「更に成長しなさい」ということで「形のないもの(存在)を信じ、魂・心を磨くようにしなければならない」ことになる。私自身、完全に社会に役立つ人(魂・心を磨く人)になれている訳ではないが、できるよう努めていくのみである。

 誰しも不幸は嫌なものである。「幸せになりたい」と思っていても、何の努力もしない人もいれば、努力をしている人がいると思う。しかし、本当に幸せになりたければ、形のないもの(存在)を信じ、魂・心を磨くようにしなければならない。

 なぜならこの魂・心を磨くことこそが「一をもってこれを貫く」根本・原点となるものだからである。

自身の考えを改め、仕事に没頭する(一生懸命働く)

 どのように生きようと人生はさまざまな苦難から成り立っている。望むと望まざるに関わらず、思い掛けない苦難、不幸が次々に降りかかる。それらに翻弄される時、自分本位になってしまい報酬だけのために働き、先のことをよく考え・学ばない場合、本当に価値ある人生にするための意義を見出せない。自らの運命を恨み、打ちひしがれるものである。しかし先見し、深く学び、それらを踏まえて自らの運命を積極的に受け止める。本当に価値のある人生にするための意義を見出し、実践・創意工夫する場合は過酷な運命を克服できる。
 私も多くの挫折を味わった。しかし、諦めず「周りをよくするために自分自身の考えを改め、仕事に没頭する(一生懸命に働く)」ことにより、情熱の火をつけ、努力し続けることで人生を好転させてきた。ここからは、私の人生・経験をもとに仕事の意義について説明したいと思う。

 私は、大阪府堺市晴美台で荒井家の次男として生まれた。父は商売人で母が父に尽くすという家庭で育った。晴美台にいる頃は、友達も沢山おり、学校から帰宅すると母が出迎えてくれ、とても幸せな幼少期だったことを覚えている。しかし7歳の頃、大阪府貝塚市の山奥にある温泉旅館を経営することが決まり、引っ越すことになる。母はそこの女将になり、ほとんど家を空けることになってしまう。山奥で友達も少なく、引っ越した頃は晴美台に帰りたいとよく泣いていた。はじめは渋々と一人山遊びをしていたが、次第に時間を忘れて遊びに没頭する。今考えるとこの時期の「没頭する」経験が後の私の人生にとてもよい影響を与えている。結果的に、足が速いことから競争で負けたこともなかった。バランス感覚も良かったので、騎馬戦でも負け知らず。組体操では五重塔(ごじゅうのとう)の一番上を任せられる。温泉旅館内のプールでよく泳いでいたため、貝塚の水泳大会でも優勝するなど、とてもよい小学校時代を過す。

 私は母が大好きで、そんな母から「あなたは男やから自分の人生を自分の思うように歩いていける」とよく話をしてくれた。そのおかげで、12才の頃から自分で商売をしていきたいと考えるようになっていた。しかし全寮制の中学に入学し、具体的な目標もなく、ただ漠然と時間を過ごしてしまうこととなる。

 高校では、サッカー部に入部したが、1年生の夏の合宿で鎖骨を骨折してしまう。その後も度重なるケガで、あまりよい結果を残せず、勉強もしないまま高校を卒業する。自分で会社を作りたいと考えていたが、方法も分からず、後先も考えないまま、自分の店をもとうと調理師の専門学校に通う。そのまま大して頑張ることもなく卒業し、甘い考えのままで割烹料理屋に就職するも、1週間で辞めてしまう。

 このような経験を経て、父と話し合った結果「商売人の子やから、商売をしていくしかない」とのことで、母が女将として働いていた実家の温泉旅館で板前の仕事を手伝うようになる。どう人生を進んでいけばよいのかわからないままではあったが、温泉旅館に愛着もあり、すぐ仕事に没頭しはじめる。ひと月で延べ350時間くらい働くようなり、両親に温泉旅館を立派にするための答えが見つかるまで質問し、納得できたことはすぐに行動に移していった。そうして、2年半ほど働き、私の中で「温泉旅館を立派にする」という思いが強くなるにつれて、両親が大切にしている人達とうまくいかなくなってしまう。その人達を払い()けてまで進もうとしたが、両親も悲しむと考え、自分から去ることを選び、堺の本社で温泉旅館の会計業務をするようになっていった。現場で働いていた経験から会計は手に取るようにわかっていったが、自分の居場所を見つけられずにいた。

 当時を振り返ると、協調性が大事であることに気づき、(あきら)めずに進んでいく方法を模索しなければならなかったと反省している。

 1997年(22歳)頃、私が会計の仕事をしている隣に、あらいの前身になる部署があった。その頃は、温水洗浄便座やトイレ、水栓をグループの会社に販売しており、当時その仕事を一人で行っていた事務員の方が退職することになる。それにあたって、私は会計の仕事に加え、望まない卸(伝票処理、商品の検品など)の仕事もしなければならないことになってしまう。このような結果に「自分は一体何をしているのだろう」「この先、どうなっていくのだろう」「なぜ、これほどに苦難や不幸が降りかかってくるのだろうか」と先の見通しが立たず(希望がもてないことに囚われ)、運命(人生)を嘆いた。しかし「何かを(つか)む」と必死で考え「会社を立派にして、自分も立派になろう」ともう一度雑念を(はら)い、寝食(しんしょく)()しんで仕事に没頭し(会計の仕事、伝票処理と商品の検品をしながら、その商品を買ってくれるお客様の開拓も行い)はじめる。これがあらいの出発点になる。

 その仕事をはじめた当初は、温水洗浄便座を毎日トラック一杯に積み、なくなるまで帰らないことを何年か続ける。お客様のほとんどが中小企業の工務店・リフォーム店・水道業者の社長で、すでに大手から地域の卸業者まで仕入先をもっており、私たちのような無名の仕入先はなかなか相手にしてもらえなかった。しかし、一生懸命に粘り強く工夫することで、少しずつ取引先を増やしていく。そうして「人の暮らしている所をリフォームする大変さ」「増改築リフォームの現場で何が起こるか予期できないこと」など現場の困難さを知る。そのことから、現場に役立つ商材(水回りの配管資材をメインに、工具・木材・建材など)をメーカー・お客様から情報をいただき、コツコツと便利に使っていただける在庫を増やしていった。結果、1.8万点の商材を取り揃える倉庫に成長する。それが、お客様の間に広まると「あらいに寄れば一日の仕事の材料が揃う」「現場で材料が足りなくなった時でも、あらいに行けば何とかなる」といった声をいただけるようになっていった。そのようにして「リフォーム増改築のプロの戦略的な倉庫」の役割を果たしはじめることになる。その中で、仲間を求めるようになるが、人材育成は容易でなく、否応なしに自分の考えを改めなければならないことになる。休みの日や時間があれば、これと思う(仕事や人生をよりよくしていくための)書籍を見つけ読むようになっていった。しかし、自分本位な考え方をもっていたため、よい教えがあっても、自分に都合よく考え「実践できない」ことを繰り返す。それでも「本当に価値のある人生を歩んでいきたいかどうか」という自問自答から、できそうなものから取り入れ、実践・創意工夫しながら、個性を活かす。周りの人に喜んでもらうようにし、自分の人生を切り開くことに喜びを感じていった。そのように自分本位な考え方を削ぐことは、会社を成長させるための考え方・生き方に矯正する過程であった。そのほかにも、当たり前ではあるが税金を納め、自己資本を増やす。EC販売・本社建設・システム開発などを行う内に、いつの間にか私はこの仕事にはまっていくことになった。

 自分に強いて(無理に何かを掴まないといけないと)はじめた仕事であったが、積極的に取り組み、この仕事が好きなのか嫌いなのかの次元を超え、今では私の生きる意義になっている。「周りをよくするために自身の考えを改め、仕事に没頭する(一生懸命働く)」ことで、私の人生はよい方向に進みはじめることになる。それを繰り返すことで、信じられないほど希望(あふ)れるものへと変貌を遂げていった。昨日より今日、今日よりよい明日であろうと正義の道を求め、(たゆ)まぬ(地道な)努力をすることには、私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないだろうか。生きていくことは苦しいことの方が多いものである。時に、なぜ、自分だけがこのような苦労をするのかと恨みたくなることもある。そのような苦しい世の中だからこそ、魂・心を磨く(鍛える)ための試練であり、絶好の機会と考える必要がある。

 この機会をどのように捉えるかが、人生の分かれ道になる。これらの理解を怠ったままの場合、食べるためだけで報酬を得る自分本位な考えになってしまう。悩み・傷つき・嘆いている方がいるかもしれないが、自分本位な考え方のままでは本当に価値のある人生は望めない。 人というものは、例外なく自分が最も可愛い。可愛い自分のためとなれば、失敗などの非常な困難にあって苦しみ悩むことであっても、すべてが自己成長と思えば苦しいことも楽しみになる。そう考えると、仕事とは自分のためにするものであり、働く場は自己成長の場となる。給料を与えてくれ、自分を成長させてくれるのが会社と考えるのが正解である。

最高の楽しみ

 孟子は、君子には三つの楽しみがあると言っている。
 第一は、父母兄弟が揃って、十分に能力を発揮し元気で無事に暮らしていること。
 第二は、天に対してもなんら恥じるような後ろめたい点がないこと。
 第三が、優れた人材を教育して、立派な人物にする機会をもつこと。
 この中には天下の王者(同類のうち最も実力のある者)になることは含まれていない。これを言い換えれば、人生の真の楽しみは、世俗的な栄誉や物質的満足ではないことになる。これは、最高に輝かしい名誉ある地位(賞・よい評判を得るような誉れ)を得ても、いずれは奪われる(失う・忘れられる)ことである。大きい財産を積んでも、死んでは無価値のものだし、生きている間も楽しみよりも守る苦労の方が多い。また、親子・兄弟、非常に近い血縁関係の人に病む人がいれば、それを眺めて楽しんでいる訳にもいかない。更に法に触れず、人に知られていなくても、自分の良心に恥じるようであれば、心から楽しむことはできない。このように考えると孟子の言葉は「間違いなくその通り」になる。

 自他共に恥じることがなければ、誰にも遠慮することなく力を発揮し、徳威を示せるだろう。つまり、最高の楽しみを味わうことになる。逆に、過去自分が犯した罪や過失・思い出したくない嫌な記憶や、現在において良心に恥じることをしているとすれば、自分の力を最大に発揮しても楽しみは得られなくなる。次に、苦悩を乗り越えた(立派な仕事をやり遂げた)時、二度と体験したくないことを解決した時の達成感などは、体験した人でないと分からない楽しみである。

 最後に、優れた人材を教育して、立派な人物にする機会をもつことも述べている。

困苦の体験が人を創る

 食うにも困る(血を吐くような)経験をした人は、必要以上に自分を見下げ(とるに足りないと心も衰えて元気がなくなり)、大事に挑戦しないようにと思ってしまう。しかし、人の値打ちというものは、苦難の時に分かれる。押し潰されるような苦労に出会った時、何とか避けようとする人と、真正面から立ち向かう人がいる。

 苦労に負ける(避けようとする)人は、押し潰されても対抗・防御にとどまらずに攻めかえす努力を諦める。立ち向かう(意志の強い)人は、押し潰されても、勢いをそぎ、弱らせることはない。打ちひしがれ困り苦しむ(あいだ)にも忍耐力、反発力などが培われてくる。そして、何とかしようと積極的にしている内に「今に見ていろ」という気概も養われ、やり遂げてやろうと執念も身につけ困難を乗り越える。七転び八起き(何回失敗しても力を落とさず、立ちあがって奮闘すること)は、困り苦しむに耐え、困難を乗り越えようとする人でなければ出ない。

 要するに、逆境や厳しい仕打ちによる苦労は人を鍛え上げ心身共に(たくま)しくするものである。その機会を逃してしまうと一人前にはなれない。失敗したり、困難に直面する(突き当たる)と不運や不甲斐なさを嘆くが、これこそ天がくれたよい機会になる。

 若い時は人の都合が分からず、自分の都合ばかり考えてしまう。そして、周りをよくしていくことに自分の力を最大限に発揮することはなかなかできないかもしれない。それでも、お互い(相手・自分)が、価値のある人生にすることを真剣に考え、答えを求めるべきである。そうして、周りをよくするために、困り苦しむことがあっても諦めず、解決する。それを続けることで、周りをよくしたい気持ち(志)が強くなっていき、私利私欲(自分本位)が弱くなっていくものである。相当の努力を重ねても、なかなか志だけになれず、至らない所も出てしまうが、そうありたいとするのが理想になる。早い段階(若い内)から、このような理想をもち続け、貧乏・失敗などの苦労を大いに経験した方がよい。人に話せないような恥もかいた方がよい。そして、その苦労や恥を話せるような立派な人になってみせると心に誓う。もし先輩、上司になって部下に話し、心を動かせなかったら、昔の苦労が足りなかったと思うべきである。このように考えると、私も少しは苦労してきたつもりであるが、まだまだ足りないものである。精進を続けていかなければならない。

時代の変化と自時代の変化と自身を知る

『孫子の兵法書』に「彼れを知り己を知れば、百戦(ひゃくせん)(あや)うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」とある。これは【相手と自分の実力や実情を正確に把握できれば、負けない】という意味である。

 ここにある「彼」とは、敵のことであるが、現代では、殺傷しあう敵はいない。それに代わるものが「時代の変化」になる。また「己」とは私たち自身であり、「自分の心」ともいえる。

 現代では「時代の変化」という強敵が予告もなく襲ってくる。それに勝つためには「時代の変化」と「自分の心」を知ることが大切になる。

時代の変化という強敵を予知し、創造する

 日本はこの30年で、一家族あたりの世帯年収は650万円から550万円になり、100万円ほど下がっている。国内ではリーマンショック時に日経平均株価が7千円を割り込んだ。当時の消費税は5%。世界では中国が実質成長率10%で世界を牽引し、6年ほどで景気は安定してきた。2020年になり、新型コロナウィルスがきっかけで不況になってしまった。しかし現在、日本は世界一お金をもっている。そのため、世界中からお金を呼び、とくに東京に集まっているのも事実である。日銀が株式市場に介入することで、今回の日経平均株価は2万3千円前後で推移している。現在の消費税は10%。世界に目を向けてもアメリカと中国が覇権争いをし、経済を牽引する国はない。

 また、国際競争力に目を向けてみても、世界競争力ランキング上では1989年から1992年まで首位にいた日本であるが、2019年には30位、2020年には34位と過去最低となり国際競争力の低下に歯止めがかからない状態である。

 これらが何に起因するのかは難しい問題であるが、「人格を高める」ことを怠ったからではないかと私は考えている。人格を高めることが盛んにならなければ、国家民族も栄えることはない(本当の文化はおこらない)と述べたとおり(歴史的心理)になる。

 本来ならば、それが大切であることを教える環境が必要である。それなのに、現代の日本では、あまりそのことに目がむけられていないように思える。この状況を踏まえ、日本人は今後どのようになっていこうとしているのか。私は近い将来、厳しい時代がくると予測している。深い考え(人格を高めること)がないまま、人生を歩んでいたらどのような状態になるのかを自覚しなければならない。

※国際競争力とは、国際経済取引における競争力の強さのことで、自由貿易のもとでは国際競争力が強いほど当該国の輸出は増加する。国際競争力には、価格競争力と非価格競争力に大別される。価格競争力は、より低い価格で輸出品を供給する能力である。技術進歩による生産性上昇や豊富で安価な人的・物的資源があれば、価格競争力の強さにつながることを指す。非価格競争力とは、製品のデザイン・品質・性能・ブランド・信頼性・市場への適合度・高度の技術水準・資源の差により、他国では作れない特殊な製品などの競争力を指す。

自分の心に打ち勝つのが最も難しい

 人に勝とうとするにしても、まずは自分に勝たなければならない。現代の競争社会において、勝ち残る人は、自分との競争に勝ち進んできた人だけである。成功者は、まず自分の心に勝って道を開き、歩きはじめる。苦難を乗り越え、突き破るなど耐えに耐えて小さな手柄を積み上げて成功する。初心を忘れることなく、自分の心に勝つことに努め続ける人は、物ごとをやり通し、最後を立派に仕上げる。

 学識、財産などをもった人が、それらを失って中途挫折する。あるいは、素晴らしい商品を開発しながら、後が続かず終わってしまう。そのように自分の心との戦いを疎かにする人は、次第に私利私欲に心が奪われて成功を失うことになる。ここが栄えるか、衰えるかの分かれ目になる。自分の心に打ち勝つには、それを早く自覚しないと容易に勝てない。あるいは早く自覚しても、意志が弱ければ望んだものを手にすることは叶わない。自覚と意志の強さ、これらは欠かせないものである。それでも、実際はなかなか私利私欲を断ち切れないものであるが、将来に志があるなら、自分の邪念邪欲に勝つ勇気を出さねばならない。

 よく立派な人の条件の中に、〝辛いことや苦しみなどを耐え忍ぶ力と困難や邪念などに打ち克つ心〟が()げられる。私もまずよく耐える言葉を口にし、自分の欲などを抑える。それから周りをよくしていくため先見し、学び、実践・創意工夫し、気力・情熱を高める。そうして、最強の敵である自分の心に打ち勝つようにしていく。それができれば、もう一つの強敵である時代の変化も容易に倒せるからである。

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