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大善小善について

 大善小善は「株式会社あらい」が大事にしている概念の一つです。これはあらいのみならず、様々な経営者も大事にしている考えです。今回は大善小善の意味について説明するとともに、その考えがあらいでどの様に活かされているのか紹介します

大善小善について

大善小善とは?

 元々は「小善は、大悪に似たり、大善は、非情に似たり」という言葉です。小善とは自己満足のために行う善いこと。大善は本気で相手のことを考えて行う行動です。つまり、自己満足のために行う善行は、善意から行ったことでも大悪になることがある。一方で、本気で相手のことを考えた行動は非情に見えても、よい結果になるということです。

 例えば、そこにお金に困っている人が、お金を借りに来たとします。あなたはかわいそうだと思って、その人にお金を渡したとします。これは善意から良かれと思ってとった行動です。しかし、これは小善です。なぜなら、その人がお金に困った時の解決方法は「誰かにお金を借りる」のみになってしまうからです。

お金を渡しても、その人はまた借り来ることになります。これは、お金に困ったときの解決法が誰かにお金を借りる事の一点のみであることに起因します。

つまり実際にはその人が、お金に困ったときに取れる解決法の選択肢を奪ってしまうことになるのです。

一方大善とは、お金を渡すわけではなく、その人がお金に困らない様な考え方や、もしお金に困ったとしても自らの力で解決できる方法を身につけ、自立出来る様に付き合い、促していく事であるといえます。

教育における大善小善

 先程のことを教育に当てはめてみるとどうでしょう。上司も部下に気に入られようと甘やかしてしまうことがあります。しかし、それは本当にその人の将来を考えたときによいことと言えるのでしょうか。上司が部下を甘やかせば、その人は伸び悩み結果として大成する事は難しくなるかもしれません。


厳しく叱る行為は、非情に見えてもその人のためを思ってのことなら、よいことなのです。これはただ単に部下を責めればよいというわけではありません。そこに必要なのは、「相手の様子をしっかり観察し、相手の立場になる・気持ちになる・親身になる・将来までよく考える」様な「思いやり」の精神で人を成長させていかなければなりません。

大善小善で本音でぶつかる

 あらいでは、うわべの話や、お世辞とかではなく、本音で話す集団でありたいとしています。

会社や、その人の将来をよくすることを本気に考えることなく仲間と仲良くする人は一見よい人に見えるかもしれませんが、これは小善であり、結果に仲間をダメにしていきます。

逆に、会社や、その人の将来を良くすることを本気に考えて厳しく接することが出来る人は、煙たがられるかもしれませんが、長い目で見れば、人を大きく成長させることが出来ます。これが大善です。

会社や、その人の将来を長い目でみて、よいことで、続けてほしいことは褒め、逆に、続けてほしくないことはきちんと注意し、正すべきです。

このように社会人として、大人として、会社と仲間の将来のことを考えて、言いにくいことも大善を意識したうえできちんと話をするべきだと考えています。